本の話・15回目

しばらく更新をさぼってしまった。

今更ながら6月の課題図書はこちらでした。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

あわせて訳者の谷川さんのこちらも読みました。

デカルト『方法序説』を読む (岩波現代文庫)

デカルト『方法序説』を読む (岩波現代文庫)

 

 

お互いの年齢に近かったから(執筆当時のデカルトの年齢が)ということで、相棒が選んでくれた本です(ここ最近は特に年齢を意識する機会が増えた)。

学生時代に買って読んだことは覚えてはいたものの、内容をすっかり忘れてしまっていた。再読するのにちょうどいいタイミングが来たということなんだろう。

本棚のどこかに埋もれているような気がしたけど、探し出せなかったのでセッションのために書い直した。

 

順番が違ってしまうような気がしたけど、なんとなく『デカルト方法序説』を読む』から読み進めた。

著者がその本を執筆したときの事情とか背景を知れることは、それほど多くはない。

解説書を読むと、本というものは、簡単にはまとまらないものだということが分かる。

 

方法序説』を読み返すと、学生時代に読んだときはまったく理解できてなかったなとも思えるし、今こうして読み返してみて理解できたのかというとそれもはっきりとは言い切れない。 

 

さまざまな民族の習俗について何がしかの知識を得るのは、われわれの習俗の判断をいっそう健全なものにするためにも良いことだし、またどこの習俗も見たことのない人たちがやりがちなように、自分たちの流儀に反するものはすべてこっけいで理性にそむいたものと考えたりしないためにも、良いことだ。けれども旅にあまり多く時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。(p.14)

本を読むことに時間を費やすことはいいことだとは思う。思っている。

けれども、本を読むことで生じてくる現実世界とのズレというものは、簡単に言葉にできるものではなかったりもする。

「異邦人になってしまう」のも決して悪いことではない。が、以前と同じように呼吸ができたり、地面をしっかりと踏みつけることができるのかはわからない。

同じところに立っているようで、見え方が変わってしまう。

デカルトは知識を得ることを「旅」に見立てていて、特に長期の「旅」に注意を払うような言い方をしているけれど、自分の国で「異邦人」になるというのも境界線がはっきりしないものようにも思える。

いわゆる国境を超えるというのは異邦人としての立ち位置に立たせてくれるけれど、自国であっても文化が異なっていたりするわけなので、いろんな人と交わることで自分自身が変わらざるを得ない状況になったりする。

昔の自分を振り返ると、昔の自分の眼を想像してみると、今の自分は既に異邦人になっている気がする。

どういう大人になりたいとか、理想とかもいちいち考えることもなく、何がしたいのかを考えているふりをして、ただただそのときの気分で行き先を決めてきた先に今の自分がいる。

 

わたしは、真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽とみなした。(p.16)

「真」でも「偽」でもない「真らしさ」という捉え方が良くて、そしてそれを「いちおう虚偽とみなす」と位置づける態度がおもしろい。「らしさ」と「いちおう」という認識が思索の世界に連れて行ってくれている。

だがわたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。(p.18)

書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増してきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然〔生まれながら〕 になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない、と。(p.22)

学問をする上で「真理に接近する」ことは当然求められることではある。いろんな意見をあちこちから集めてきて、それらについて検討することが思考の癖のようにもなってしまっているけれど、果たしてそれは真理に近づいたりするのだろうか。そこをまず疑ってかかる。

自分自身が果たして「良識ある人間」なのかは怖くて断言できないけれど、思考を単純化するところを目指そうとするならば、「寄せ集める」というよりは「単純な推論」というアプローチが確かに有効なようにも思えてくる。

真理とは。

 

第三部に「格率」というものが書かれている。(p.34〜39)

  1. わたしの国の法律と慣習に従うこと。
  2. 自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと。
  3. 運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めること。
  4. この世で人びとが携わっているさまざまな仕事をひととおり見直して、最善のものを選びだすこと。

2番目の格率の説明のなかで次のように述べる。

われわれがどの意見にいっそう高い蓋然性を認めるべきかわからないときも、どれかに決め、一度決めたあとはその意見を、実践に関わるかぎり、もはや疑わしいものとしてではなく、きわめて真実度の高い確かなものとみなさなければならない。われわれにそれを決めさせた理由がそうであるからだ。そしてこれ以来わたしはこの格率によって、あの弱く動かされやすい精神の持ち主、すなわち、良いと思って無定見にやってしまったことを後になって悪かったとする人たちの、良心をいつもかき乱す後悔と良心の不安のすべてから、解放されたのである。(p.37)

一度決めたことを真実度の高いものとみなすことは怖くもある。考えはころころ変わりがちなのに、変えずに信頼する。デカルトは「解放された」って言ってるけど、そういう風に自分自身の身体を思っていたとおりに動かし続けることができたら確かに楽だろう。

デカルトは「望むところへ正確には行き着かなくても、とにかく最後にはどこかへ行き着くだろうし、そのほうが森の中にいるよりはたぶんましだろうからだ」(p.37)とも述べている。

確かにどこかに行き着くことは大事なことだと思える。一応の答えが見つかる。「良心をいつもかき乱す後悔と良心の不安のすべてから」の解放。

後悔は絶えず自分に向かって押し寄せてくる。それから解放されることは確かに楽なことだろう(簡単ではないけれど)。

決めたことに一貫して従うことというのはとても強い。選択はいつでも間違っていそうな余地を残している顔をしている。

 

わたしの思想を伝えることで、ほかの人びとが受けるだろう利益についていえば、これもまたたいしたものではありえない。なぜかというと、わたしはそれらの思想をまだそんなに深く進めてはいないので、実地に応用するまえに、なおたくさんのことを付け加える必要があるからだ。そしてもしそれをできる者がいるとすれば、それはほかならぬこのわたしであるはずだと、自惚れることなく言うことができる。それはこの世に、自分とは比べものにならないほどすぐれた精神の持ち主がそう大勢いるはずがないということではなく、ほかの人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることがでいないからである。(p.91)

自分の見たこと考えたこと、発見したこと。それは自分自身が一番良くわかっている。

もっとも良く「自分のものとする」ことができるのは、自分自身で発見した場合である。もちろん他者の本や思想から学べることもある。しかし、どこまで学ぶことができるのかと考えると、もともとの発見者にはかなわない。中身は変質する。

私は自分の見解のいくつかを、ひじょうにすぐれた精神の持ち主に説明したことが幾度もあるが、かれらはわたしが話している間はきわめて判明に理解したように見えたにもかかわらず、それをかれらがもう一度述べる段になると、ほとんどいつも、もはやわたしの見解だと認めることができないほど変えてしまっていることに気がついたのである。( p.92)

人は他人の考えをそのままもとのアイデアのとおりに受け取ることができない。誰かに渡した段階でその内容は変質する。

たった一度の直接的な受け渡しですらズレが生じてしまうなら、自分自身の考えをそっくりそのままの意味で正確に後世に伝えるのは無理な話になる。

ただ、そのズレも受け手ごとに多様であって、そのズレたちこそが解釈に豊かさを生み出しているということでもある。

 

デカルトは「わたしはそれらの思想をまだそんなに深く進めてはいない」とも述べていたが、思想を深くする作業は時間との戦いでもある。自分が見出した発見したことについて、どこまで深く潜っていくことができるのか。

わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である。(p.48)

どこまで行っても「捉える」作業が必要だ。考えることが必要だ。

私は何を捉えている?

本の話・14回目

5月の課題図書は島田潤一郎さんの『90年代の若者たち』。

島田潤一郎さんは夏葉社を創業されたときの初期の頃からどこかでお名前を聞いていて、その後もずっと夏葉社の本には注目して書い求め続けてて、『90年代の若者たち』は出版情報が出始めたときから買うと決めていた。
出版社の名義をあえて夏葉社にはしなかったというエピソードも含めて、今の時代に出てくれてよかったと思える本だった。

「あの頃を振り返って語る」というのは、ちゃんと生き続けている私たちの役目だとも思うのだ。

 

島田さんが本文のなかでもあとがきのなかでも触れていた早逝された90年代の若者たちのことを書き綴ったように、今話してみたい人とか捧げたい人が思い浮かぶ。
自分も地球でそれなりの時間を過ごしてきたので、90年代の頃のあの空気を知っているし、もうこの世には居なくなってしまった若いままで時間が止まってしまった同世代も出てきている。
今とは違うあの空気感はもう過去のことで、記憶の奥底をほじくってみることでしかもうおぼろげな形も見えてこない。
あのとき体感したことが過去へ過去へとぐいぐいと流されていくかのようで、嬉しかったことも悲しかったことも、記憶がどんどんとか細くか細くなっていっている。

 

読んでみて固有名詞の持つ力強さを改めて感じる。
固有名詞が一気に記憶を掘り起こしてくる。
ちりちりとした記憶への刺激が心地良くも思える。

 

ぼくは、すばらしい歌を歌いたかったし、よい小説を書きたかったし、女性にもてたかったし、おしゃれになりたかった。芸能人の友だちをつくりたかったし、英語の本が読めるようになりたかったし、外国人たちと政治や歴史について話してみたかった。でも、なにもできなかった。(p.113)

「自分がなにもできない」という感覚はいつぐらいから自分の背中あたりに貼り付いていたのかは今となっては思い出せない。
やりたいこととできないこととの間で板挟み。
苦しさとか、部屋でひとりで拗ねていたようなうっすらとした記憶。

ぼくもなにもできなかった。

 

ぼくは、オザケンがあたらしいシングルを発売してくれれば、すこしは前に進めるのに、と思っていた。そう思っているうちに、19年の歳月が流れた。(p.118)

「ほんとそうだな」とも思いつつ、こうして時間が経ってしまえば19年なんてあっという間だった。
ほんとにちゃんとそのときが来るまで生きていられてよかったな。
ほんとによかったよ。

 

音楽のどのジャンルが好きか、というのがその時代の個性であって、音楽そのものが好きじゃない、という若者はほとんどいなかった。(p.127)

音楽を語るときにジャンルを語る。
そうかあのときにそういう人たちもいたのか。
振り返ると自分はあまりジャンルの話をしていなかったように思う。
ジャンルというラベリングをする作業すら不安だったりしたのだ、自分は。
音楽を語ることの楽しさはわかる。
今でもそれは好きなことではある。
でも友だちがジャンルを語ろうとすると不安になったのだ、うっかり間違った答えを言ってしまうことが怖かったのだ。
誰かが分類してきたジャンルを通して音楽を語ることには常につきまとう変な怖さがある。
そのせいかiTunesとかで曲をインポートするときに「ジャンルを選べ」と迫ってくるあの感じが今でも慣れないままでいる。
自分の聴いている音楽のジャンルを決める作業は今でも慣れない。
「どれでもいいよ」とか思いながら、だいたいRockかPopを選んでいる。
気持ちの上ではMusicというジャンルを選んでいる。

 

その意味で、本というのは、人間に強さをもたらしたり、ポジティブな価値を与えるというより、人間の弱い部分を支え、暗部を抱擁するようなものだと思う。だから、ぼくたちは本が好きなのだし、本を信頼していたし、それを友だちのように思っていた。
それは本だけではなかった。音楽もそうだった。(p.168)

自分の弱い部分を支えてくれた本も確かにあったのだけれど、そういう確かな(過去においては確かな)本ですら、最近は思い出せなくなっている。
本棚からなくなってしまった(売り払ってしまった)本のことは不思議とあまり思い出せない。
もう、そこに書かれていた言葉が必要ではなくなってしまったのだろうか。自分の心と身体が。
どちらかか、その両方なのか。

けれどなぜだか音楽は思い出せる。
信頼してきた本と再会するよりも、音楽と再会するほうがなぜだか簡単に気がするのは、口ずさむことができるからだろうか。
口ずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?みたいだな。

 

あのとき見ていたものや聴いていた音楽は今でも触れている。
自分の大事な部分をつくりあげてくれた相棒のような本や音楽たち。
何の目的もなしに読みたい本を読み聴きたい音楽を聴く。
手のひらからこぼれ落ちてしまったものごとも多いし、買ってよく聴いたCDもあって、あんまり聴かずに売り飛ばしてしまったCDもあって、売ったのにその後に買い直したCDもあって、自分にとっての90年代は今でもぼわぼわした姿を身の回りに漂わせている。
この本を読んでいて、自分のものさしはだいたい90年代につくられていることに気がつく。
堀部さんの『90年台のこと』の帯には「スマートフォンのない時代へ」と書いてある。
90年代は便利ではなかった時代かもしれないけれど、便利ではなかったからこそ見えていた世界があって、そういう世界をものさしにして生きていくしかなかった。

堀部さんの『90年代のこと』も併せて読み返してみたい。

本の話・13回目

4月の課題図書。

発売からずっと話題になっている本。

本を贈る

本を贈る

 

久しぶりの本についての本。

収録されているのは気になる人(職)ばかりである。

 

読み手にとっては普段見えにくい立場にいる方々にスポットライトがあたる。

表に出てきてくれて順番に自己紹介をしてくれるおもしろい本だ。

「本を語る」という形式を取りながらも自分たちの生き方とかものの考え方が書き綴られている。

自分が何にこだわって仕事をしているのかとか、普段の暮らしのなかでわざわざ言語化することはそうそうないだろう。

でもどこかしらの節目で自分の辿ってきた軌跡を記録に残しておくことは大事なことであって、それがみんなで一冊に仕上げていく過程が垣間見えるとても心地の良い本だった。

表紙の手触りだとか、手に持ったときに見た目よりも紙に軽さを感じたりするところとか、カバーをつけようとしない潔さとか、大事に本をつくっているのがわかる。

 

こういう類の本には編集の意図なんかを記したまえがきが入ることが多いと思うのだけれど、この本にはそういう説明的なところがない。

いきなり最初の島田さんの語りから始まる。

とても潔い。

「贈る」ときに余計な言葉を重ねず、でき上がったものそのものだけでメッセージを伝えようとする。

まとまった形の各自の文章を読み進めて辿っていくと、この本で何を伝えたかったのかを言い表す言葉を付加することは蛇足にも思えてくる。

余計な言葉はいらない。

シンプルに『本を贈る』の標題のとおりに。

島田さんもこう言う。

だから、装丁はできるだけきれいなほうがいい。厚さはあんまりないほうがいい。ださいタイトルはいやだ。タイトルはできるだけ、直接的でないほうがいい。(p.26)

 

この本は本に関わる人たちの共著なので奥付の親切さがとても良い。

書名や著者名にふりがなが振ってある。

印刷所や製本所の関係者の名前も列記されている。

著者にもなっている人たちが校正者と装丁・装画者も兼ねているのも良い。

藤原さんがこう言う。

何を申し上げたいかといいますと、印刷の担い手はひとりひとりの人間であるという事実。製本もしかり。だからこそ、彼らの名前を本の奥付にクレジットしてほしいのです。(p.131)

 

私たちが本と出会うということは、そのつくり手が必ず存在するということです。

読者としては普段意識しなくてもいいことだけど、この本を読むと自分の手元に何らかの本が届いていることに感謝したくなる。

誰かが思いを込めてつくっているのだ。

笠井さんがこう言う。

それはこれからは贅沢な考え方になってしまうかもしれないけれど、本をつくったり売ったりすることが、世の中の数ある仕事のなかで、普通に誰でもが選べる職種であり続けてほしい。そうあることが、買うひとをも選ばないことに繋がっている気がするし、そうでなければ、子どもの頃の私に、本は届かなかったと思うのだ。(p.163)

まずは普通の本と出合って、興味が持てればそのあとは、いくらだっていろんな本と繋がっていける。そのフックとなる、普通の本だって、すでにめちゃくちゃ手塩にかけて育てられた子なのだ。最高だ。(p.164)

最高だ。

誰かの最高な仕事が自分の日常にふらりとやってくる。

日用品の購入なんかはついルーチン化してしまうから買う行為を徐々に考えなくなってけれど、本を買う体験はいつになってもその都度新しい。

最高だ。

 

この本は「本を贈る」をテーマにした原稿依頼になっている(ことをいろんな寄稿者が書いている)。

本を仕事にしている人たちの声が聞こえる。

でも、読者である自分たちも「本を贈る」ことを考えてもいいのだ。

読者は受身的に「本を贈られる」存在ではなく、読者も「本を贈る」存在だ。

それがわかる。

自分の関心に沿って、自分の意志で本を探して読む。

誰もがみんな本を贈る人。

川人さんはこう言う。

出版されたものは著者の手を離れていくし、読者たちがそこに何事かを投影し、あるいはそこからまた別の本に引き継がれることもあるだろう。一冊の本の寿命が人の一生より長い場合もよくあることだ。ある意味では取次であるかどうかにかかわらず、本に関わる誰もが中動態のような中にいるのではないだろうか。(p.202) 

贈る主体ではないという意識を抱えながら。

 

本は複数冊を組み合わせることによって新しい価値観が生じてくる。

そんな話はよく聞く。

組み合わせるのは棚をつくる人、とついうっかり思ってしまうけれど、棚をつくる人がどこからヒントを得ているのかも考えておかないといけない。

本を選ぶ人というのはどこにでもいる。

一冊ではなく、複数冊の本をまとめるときに生じる価値を大事にすること。

久禮さんがこう言う。

ぼくの仕事は、どれだけ多様なお客さんの思いを拾い集めて品揃えに組み込み、ひとつの本が売れなかったときに、次に売り上げの見込めるもうひとつの本に取り替えることでその思いを売場に残し続けていくかだと思います。(p.255)

本棚とは本の所蔵場所ではなく、本を選んだ人の思いを残す場所である。

本の位置を変える、本を入れ替える、隣り合う本の組み合わせを考える。

誰かが手にとった、誰かが購入した、そういう本への思いを本棚のなかに形として残す。

たとえば本を開けずに一文字も文章を読めなかった日があったとしても、本に一瞬でも触れることができたら、触れなくても背表紙に視線を送るだけでも、それは自分が持っている本への思いが一日のなかに刻まれるということでもある。

久禮さんがお客さんの「物語」という言葉をつかっていることに安心する。

しかしぼくは書店員として、お客さんから毎日押し寄せてくるような思いを他のお客さんにお返していくことを、何よりも先に語らずにはいられなかったのです。(p.262)

 

本そのものには手も足もないのに、それでも世界のあちこちを巡り歩いて動き回る。

人間は「本という存在をなんとかしたい」と考えて、それに手を添えて世界のなかで動かしていく。

一見すると人間が本を自由に選んであちこち連れ回しているようだけれど、でも実際には本が私たちに手を貸すことを常に要求しているようにも見える。

本はいつでも「私をどこかへ連れて行け」なんて声を発しているように思える。

本の話・12回目

3月分の課題図書はこれ。

今更書く感想。

エコラリアス

エコラリアス

 

相棒がツイートしていたので「次それにしよう」とこちらから提案した。

ちょうど手元にあって読みたかったのに読めなかった本。

本棚にはあるけど手が伸びずに熟成させた。

読書にはタイミングというものがある。

 

紹介文を読んだときに子供の言語の話かと思ったけど、それに限定されるわけではなかった。

子どもは言葉を覚えるときに、それ以前の赤ちゃん語を忘れる。そのように、言葉はいつも「消えてしまった言葉のエコー」である。そして、忘れることは創造の源でもある。
言語の中にはつねにもうひとつの言語の影があり、失われた言語が響いている。言語の崩壊過程に言語の本質をみたヤコブソン、失語症を考察したフロイト、複数の言語を生きたカネッティ、死んだのに語る口を描いたポー、母語についてはじめて語ったダンテなどを導きに、忘却が言語の本来もつ運動性であることが浮上する。
アガンベンの英訳者として知られ、30代で本書を著し、恐るべき知性として話題を呼んだ、ヘラー=ローゼンの主著。流離こそが言語の核心であることを明かす、言語哲学の最重要書である。

 https://www.msz.co.jp/book/detail/08709.html

 

「忘れることは創造の源」という言い切り方に惹かれる。

覚えたことを忘れることは良くないことと思って若い頃は過ごしてきたりしたけど、忘れるからこそ次のフィールドに向かうことができたりもするんだなとも思うようになった。

言語だけの問題でもないとも思うけど、私たちが何かの形で動く際には思考も伴うし、どうしたって言語の世界に引っ張り込まれてしまう。

 

「ずいぶん以前の話だが、わたしは芸術作品を構成する諸要素の忍耐強く精密な研究に没頭し、多様で豊かな表現方法を持つことは芸術家によって望ましくないという反論不可能な結論に至った。そして、不完全な知識しか持たない言語で書く方が、完璧に自分のものにしている言語で書くよりもずっとふさわしいと考えるようになった」。ある言語の語彙を完全に知らない場合、作家は自分の思考に合った新しい表現を造り上げる必要を感じる。その結果、「芸術の誕生」を妨げる慣用句を使わずにすみ、新しく、時には天才的な方法で自分の考えを表現することができるのだ。(p.219-220)

たまに喋る仕事をしていると、自分の口癖を意識することがある。

いつも通りの言い方は、仕事として安定しているとも言えるし、一方で自分の口に柔軟性が欠けている感覚もある。

口を開けばいつも同じ言葉が出てくるなんてなんて退屈なんだとも思う。

できれば自分の口を取り替えてみたい。

一度獲得してしまった語彙を忘れることは難しいけれど、忘れるということは創造的であるとは確かにそうなのだ。

たとえば言葉のど忘れする導いてくれるおかしみの地平は実際には困るけれど、身体としては微妙にいい方向に変化するような思いがある。

でもそれでいて他人の語彙が足りなくなった瞬間はそれはそれで好きだったりする。

他人事ならそれで良いのだ。

 

人間の行動の本質は、このような、減少の可能性になるのだという。その重要性がいかなるものであれ、この可能性のおかげで、人は、本来の行動よりもより少なく為すという能力を固有の美点として持つことができるのだ。そこから考えられるのは、人間によってなされた行動は、他と切り離して考えることはできないということである。ある行動そのものを検討する際には、その行動の周りに投げかけられた、より劣った行動の影に注意を払わなければならない。(p.149)

人間はそのように創られているので、人は困難な事柄を成し遂げられる時、それよりもより優しい事柄も行える能力を持つ。(p.148)

動物との違って、人間はわざと「劣った行動」を取ることができる。 

それが人間の行動の本質でもあると言われる。

言語の問題(失語症とか御用とか言語障害とか)についての話ではあるけれど、私たちの振る舞い全般についてもそういうことが言えそうだ。

こういう能力が「美点」という評価になっているのがおもしろい。

完璧にこなされない物事にこそ現れてくる何か。

そこにこそ人間らしさがある。

 

どんな努力をしようと、言語はわたしたちが生きている間に少なくともその「半分」は変わってしまうのだし、それが「今そうであるように、絶えず逃れさり形を変えていく」だろうからだ。言語はいかにしても同じ形でいることはできず、好むとこのまざるとにかかわらず、「毎日我々の手からこぼれ落ちていく」のだ。本質的に変わりやすい言葉は、自らの構成要素である時間のおかげで、人の所有物に完全になることはなく、また、それゆえに、完全に失われることもない。(p.88-89)

 自分の口癖とか、あるときだけ頻繁につかっていた言い回しとか、今はすっかり忘れてしまっている。

時間が経つにつれて、「つかいたい言葉」を見つけるのと同じように「つかいたくない言葉」にも気づいてくる。

言葉としてはよのなかに残っているわけなので、自分はもうつかわないと決めた言葉があって、それを他人がつかう場面に出くわすとドキッとする。

それこそ言葉は自分の所有物ではないのだけれど、私たちには所有しない自由もあるはずで。

一つひとつ丁寧に自分の持っている語彙からいらない言葉を除外していくことを生活のなかで意識するようにしている。

大事に育てる作物の芽を間引いていくように。

自分らしさが見える言葉を育てていくように。

言葉は形を変えるそうだけど、変わってくれるものでほんというによかった。

それは自分自身も変わるために必要なことだ。

 

言語は消え去り、同時に残り続ける。身体を超え、言語は、自らが属しそれに奉仕していたと思われるものの消失の後にも残る。言語はそういうものでしかあり得ない。言語とは、自らの後にも生き延びる存在なのだ。(p.272)

言語は身体を超えて残り続けるもの。

自分が獲得したと思い込んでいる言葉たちは、過去の誰かが消失させてしまったものだろうか。

私たちがさわれるのは、過去の何らかの名残だけ。

消えたと思ったものが実際はどこかに残る。

それは私たちの身体に一時期だけ宿ったりする。

今の自分の手のなかにある言葉は、誰かに渡すことができる言葉だろうか。

それともいずれ消されてしまう(それでも残されてしまう)言葉だろうか。

消えない言葉を誰かに渡せるだろうか。

 

若い頃は天の邪鬼に考えていたから、(今振り返ると大してよくわかってなかったくせに)言葉について考えることに積極的な意味を見いだせなかった。

思い返せば言葉の操り方が下手くそだったんだ。

もっと遠慮なく忘れてしまっていいのだ、自分にとっては。

誰かがそっと思い出させてくれるまで。

本の話・11回目

このエントリーは2月分です。

今更だけど2月もなにかと忙しかった。

3月も。

 

今回の課題図書はこれ。

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 

出版情報を目にしたときから「これはきっといい本だ」という予感があって即注文していたけど、なかなか読めずにいたら相棒も気になっているということで、すぐにメッセージして「次これにしよう」とお願いした。

大部な本なので忙しい時期に読むの大変でしたねと相棒とも笑い合ったりしたけど。

 

どちらかといえばサブタイトルに惹かれた、特別な共同体。

ここしばらく共同体について関心を寄せている。

 

前半部分を読んでいて、小沢健二のひふみよツアーの「闇」を思い出した。

「昔の人は門構えに音と書いて闇を表した」

「けれど今夜だけは僕らはぜんぜん違う世界で時を過ごす」

停電と災害では影響の大きさが違うけれど、何もできなくなってから立ち上がる共同体というところが重なって見えてくる。

小沢健二のライブを見に行ったのはもう10年くらい前のことになるけど、こうして時間が経ってみてから読んだ本とつながる想い出というのはとても楽しい。

本を読むことは他者の言葉に導かれて自らの体験を何度も塗り替えることだなぁと思う。

そもそもこの本も、あのツアーと同じくらいの時期に翻訳が出版されたものだ。

東日本大震災以前に出された本で、あれ以降に注文が増えたというのも当然のように思える。

https://jfissures.wordpress.com/2011/03/30/rebecca-solnit/

 

最近では、わたしたちは、希望をたいていは想像上の未来より、変化に富んだ過去の断片や伝統の中に見出す。だが、災害はわたしたちを、人間性も社会も一変した一時的なユートピアに投げ込む。そこでは人々は平常時より大胆で、より自由でしがらみがなく、まとまりがよく充実してはいるが、縛られてはいない。(p.37)

過去から現在、現在から未来、という時間の流れは以前よりもずいぶんと意識的に考えるようになった。

それは仕事のせいでもあると思うし、それなりに歳をとってきたからかもしれない。

年月。

意図せずに「残されてしまう過去」とか、その断片が目に止まってしまうこととか、意識的にでも「残そうとする過去」が見えてきたこととか、そういう過去の重みとか感じたりするようになったとか。

子供もいると、未来を見据えながら、未来につながるような過去を大事にしたいと思うようになったりして。

それでも未来の想像よりも過去のほうが明瞭に思えて、過去の断片の力はとても強い。

でもそれがたとえば災害でつながりが切断されてしまっとして、そこにしがらみがなくなってとか大胆という風に見えるだろうか。

災害で未来の希望が見えなくなったとき、過去からの希望も見えなくなるだろうか。

過去の断片はずっと私たちの希望であり、縛っているようにも思う。

現実が自由なのか不自由なのかわからなくなったとしても。

 

“クライシス(危機)”という言葉はギリシャ語を語源とし、何かが最高点に達し分裂する点、すなわち、どう変わるにしろ、変化が差し迫った瞬間を意味する。(p.113)

語源を知ると世の中の見え方が変わる感覚がある。

今の時代の意味へと変わってしまう前の言葉がなぞっていた現実世界のこと。

語学がそれほど得意なわけではないけど、言葉に対して持っていた思い込みの角度を少し変えてくれる感覚。

良くも悪くも変化を生み出す最高点、災害はそれを私たちに与える。

そういう変化後の世界に慣れてしまうと、振り返ってそれ以前を考えてみても分裂前の感覚をうまく再現できない。

 

自然災害では個人より組織のほうが問題を起こしやすいと、クアランテリも言っている。「役所仕事は決まりきった手順やスケジュール、ペーパーワークなどに依存している。実際、現代社会は、正しく行われればだが、役所仕事なしでは立ちゆかない。唯一の問題は、革新的な考えやいつもとは違うやり方が必要な非常時には、お役所的な組織が最大のネックになりうるということだ。(p.169)

決まりきった手順はいいこともある。

手順は先を見通せて、同じような成果を出してくれる力を持つ。

それはとても安心するけれど、手順から外れることへの不安感も伴う。

災害時の混乱には手順がなくなることの自由もあって、新しいやり方を構築しないといけなくて、それは確かにお役所的なものとは遠いところにある。

 

彼女の息子がある日、『ママ、地面が揺れてから、ママの中は揺れ続けているんだね』と言ったそうなんです。母親が以前とはまったく違った人間になっている(p.192)

東日本大震災のときにはまだ子供はいなかったから、あの災害を知らない子供と今は暮らしている。

子供たちが知らないままでいるということにホッとする感覚がある。

自分たちは体験として知っている。

知らない世代もいる。

仮に自分が「まったく違った人間」になったとしても、違った形になっていることを受け止めてくれていると思える安心感もある。

それでも、世の中にはあの災害を子供のときに体験した子もいて、記憶に残したまま時間が経って成長している。

自分が親の立場だとして、子供に「揺れ続けている」と言われたとしたら。

「揺れたまま」でうまく歩けるだろうか。

 

災害と革命は、ある意味、カーニバルを生じさせる。混乱が生じ、人が集まる場があるという意味で、災害にはカーニバル的な側面がある。また、革命も一種のカーニバルだと考えることができる。それならば、革命を良いものを永久に作り出す試みではなく、むしろ再生と再発明の瞬間だととらえれば、わたしたちは束の間のユートピアを新しい目で見ることができる。(p.224)

西洋のカーニバルを実際に見たことがある。

(見たと言うより意図せず巻き込まれた。それはそれで楽しかった)

日常風景のなかに現れる異質な関係で、いつもと同じ人が別の姿を装う。

それはすぐ終わる、簡単に終わってしまう。

災害のユートピアも束の間のできごとで、再生と再発明はずっと続くわけではない。

いつもの風景のなかに異なる見え方がある。

装いの準備をして、装いを脱ぐまでのカーニバル。

災害や革命の観点からもう一度見直すと、カーニバルは通常の時間のカレンダーに打たれた単なる句読点ではなく、息をするためや、プレッシャーを取り除くためや、外部の可能性を取り入れるための空気孔で打たれた句読点であるかのようだ。(p.227)

空気孔というのは咄嗟の瞬間に触れる世界にあって、自分の思い通りに動けない世界だなと思う。

それは息継ぎのために水面から顔を出さないといけないようなもので、そこから逃れられない。

カーニバルはカレンダーの通りに予定調和的に動くわけではない。

息が続かなくなったら浮上するしかない。

さっき「束の間」という言い方をしていたけど、それは安心して顔を出せる世界ではなくて、「それしか方法がない」という世界で、また潜らないといけない。

カーニバルでは、災害では、「息をするため」にどうしても顔をださないといけない。

「外部の可能性を取り入れる」ためであって、自分たちが「外部に出ていく」ものではない。

あっという間に、再び水の中へ潜らされる。

 

あなたは誰ですか? わたしは誰でしょう? 災害の歴史は、わたしたちの大多数が、生きる目的や意味だけでなく、人とのつながりを切実に求める社会的な動物であることを教えてくれる。そして、それはまた、もしわたしたちがそのような社会的動物ならば、ほぼすべての場所で営まれている日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、わたしたちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆している。災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。(p.427)

破壊は創造と表裏一体であって、新しい道が見いだせることでもある。

日常生活は塀のなかに閉じ込められているようなもので、それは確かに安心感もあるけれど、それが裂けることは自分に新しい可能性が広がることでもある。

「日常生活は一種の災難」という見方は確かにそのとおりとも思えて、同じようなことを繰り返さないといけない日々はそれはそれで苦痛でもある。

災害が破壊するものばかり目についてしまうけれど、それは逃れたいような過去を洗い流してくれるものでもある。

過去とは違った流れで新しい創造ができる。

本来であれば負の方向に進んでしまうような感覚になるけれど、災害は実に前向きな捉え方もできる。

安心感も欲しい、でもそこではない新しい世界も見たい。

いつもの暮らしのなかでは届かない世界も見てみたい。

パラダイスを作ることは、わたしたちの宿命である。これまでに文学の中などで語られたパラダイスは、せいぜい永遠のバケーション程度のもので、意味のないものだった。“地獄の中のパラダイス”は即興的に作られる。わたしたちはそれを情況に即して作るが、その過程で、わたしたちの強さや創造力が求められ、たとえコミュニティに巻き込まれているときでも、わたしたちは自由な創案を発揮できる。地獄の中に作られた、こういったパラダイスは、わたしたちに何ができ、わたしたちが何になれるかを教えてくれる。(p.439-440)

「何ができ」「何になれるか」、これらは安定した日常のなかで日々の暮らしのなかで得られるという側面もあるとは思うけれど、降って湧いてきた新しい環境が、災害が変えた地獄の中のパラダイスが教えてくれることでもある。

生きていくために何かできることを考える。

いつもの暮らしを維持するのは、変わらないこととか変わろうとしないことではなく、むしろ新しさを生み出す変わろうとすることだったりする。

災害は強烈に変わることを強要してくる。

一気に、強く、一瞬に。

わたしたちがすべきことは、門扉の向こうに見える可能性を認知し、それらを日々の領域に引き込むように努力することである。(p.440)

大事なことは日々の領域にある、日々の暮らしにある。

いつか失われてしまういつもの生活がある。

それまで見えなかったものが目の前にたち現れたとき、そこで戸惑うことがないように、日々の生活で見えないものにも目を配らないといけない。

言葉にならないものごとに、言葉を探して与えていくように。

本の話・10回目

この記事は1月分です。

 

「本の話」といいつつ、本の話をしなかった年明け最初のセッション。

単純にお互い予期せぬできごとで課題図書が読めなかったということでした。

でもとりあえず話だけはしておこうということで、ただただとりとめもない話をしたのでした。

(セッションそのものは継続している形にしています。)

本の話をしようと言いつつ、本の話をしなくてもいいという時間。

それはそれでおもしろい。

年明けくらいは本からも自由でありたい。

というほとんど言い訳のようなもの。

 

この歳になってみると、若い頃に感じていたような必死になって何かを吸収しなくてはいけないような思いからは自由になっている気がしてしまう。

新しいことを吸収しては何かをアウトプットしておかなければという思いに駆られたりする、ということが若い頃ほどの密度で迫ってこない。

それは良くも悪くも自分が成熟しているとも言えるし、まわりの情況がそういう風に思わせてくれているのかもしれない。

歳とともに丸くなっていくということかもしれない。

若い頃は「ほんとかよ」とか思っていたことだけど、間違いなく角が取れ始めている。

 

とはいえ。

とはいえ、何かを出しておかないといけないような思いも自分のなかで続いている。

気持ちと身体は重なったりずれ込んだりの繰り返し。

 

お互いの人生のなかで蓄積してきたことを小出し小出しに月イチで相手に伝えていくやりとり。

こうしてお互いの話しをするたびに、今よりも若かった頃に見てきたもののうち、何が大事だったのかが言葉にされていく。

若い頃に描いていたのは、塗り絵の黒い線の部分だけのようなものなのだ。

枠しか描いていない。

歳をとってからそれを思い返してみると、そのたびに黒い線に囲まれたひとつひとつの白いキャンバスの小さな部分に色を塗っている感覚になる。

「前にもこの話したな」と思うことが増えてくるというのは、何度も繰り返し同じ部分に色を塗っているようなもので。

 

歳を取ったなら、できればそこに違う色も塗ってみたい。

自分の話を誰かに話してみると、その人がまた違う色を塗ってくれるようにも思う。

自分ではたぶん手に取らなかったような色。

思いがけないカラフルさ。

 

お互いの話をするというのは、そこに新しい色が生まれるということだ。

パレットは単に汚れるのではなく、何か新しいことを生み出した過程なのだ。

本の話・9回目

なんとなく自分たちの若い頃のことを語りたくなった。

90年代のこと―僕の修業時代

90年代のこと―僕の修業時代

 

 

自分の過去を振り返る作業は楽しくもあるし、苦しくもある。

今の自分の立っている場所の意味を確認することでもあるけれど、「今の自分にはならなかった可能性」にもつい思いを寄せてしまう。

「私とは何か」を語る言葉は、過去を振り返るところから導き出されてしまう。

必然の結果として今があるのか、偶然のできごとの延長として今があるのか。

絶えず生活の過程にいる自分には、それはなかなかわかるものでもない。

 

 

いらないものが増え続けるのならば、せめて本当に必要なものを取捨選択できるくらいは覚えていたい。そのためにはかつてわれわれには何がなく、代わりに何があったのかを思い出す必要がある。(p.16)

帯には「スマートフォンのない時代へ」とある。

あの時代に見てきたことはほぼ肉眼の世界で、今思い出せる90年代のできごとは断片ばかり。

それでも思い出さなければ、今の自分に必要なものもわからない。

それがわかりたい。

それがわからなくてもなんとなく生きてはいけてしまうのだけれど、生きることを積極的に意識してもいいような歳にもなってきている、

それだけの時間が既に自分の身体を通り過ぎてしまっている。

生きる感触をつかめないままになんとなくで過ごしたくはないし、自分に残されている時間を考えると、振り返るタイミングをつかんでおきたいとも思う。

 

出会ったことのない過去の音楽は等しく新しい音楽であり、どのように並べるかでその意味を定義し直すことができる。先輩のように知識も経験もない自分にとっては、上の世代に対抗すべき手段として、「こういう聴き方だってありますよ」と提案する、編集行為こそが唯一の武器だった。(p.33)

60年代とか70年代とか80年代とか、そういう時代に思春期を過ごすことができなかった90年代の人たち。

真心ブラザーズ斉藤和義も「テレビのなか」の人たちとして映ってしまう。

www.tapthepop.net

そういう自分たちが遡る音楽を「等しく」「新しく」見つめて、「編集」という行為に出ていく、そしてそれを「武器」と呼べる。

「遅れた」ことは事実だけど、それは「新しい」と解釈もできる。

古い本も最新刊もはじめて出会う人にとっては新刊と同じ。(p.33−34)

古典ですらもそれを読む自分にとっては新しく出会った未知の知。

出会えなかった過去を思うよりも、これから出会う未来を楽しむことを考える。

流行りのジャンルやベストセラーを追いかけるわけではなく、俯瞰し、関係性や組み合わせの面白さを追求し続ければ、その店は時代とともに消費されることもないはずだ。そんな視点を与えてくれたのは、過去の音楽がつねに新しいものと共にあり、センスが知識に拮抗した、九〇年代というエアポケットのような時代だった。(p.34)

 強い思い入れが足りない分、編集も軽やかに思いのまま。

それは確かに私たちの武器でもある。

過去の情報を引用し、並べ替え、別の意味をもたせる「編集」こそがクリエイティブな行為であるという発送の転換。それは音楽だけでなく他の分野にも応用できる「発明」だった。(p.99)

自分の思考のクセを考えてみると、モノや情報を「集める」「揃える」「一覧にする」ということをやりがちで、とにかくものごとの全貌を俯瞰して眺めたい気持ちに駆られる。

そのなかに染まらない、一歩引いた場所で見てみたい。

断片から何かを語るのではなく、全貌からそれを見ていたい。

ゴールの位置を確認してからスタートする迷路のような、アイテムの出現場所を先に知っているような。

 

生活必需品ではなく、なくても生きていける嗜好品を扱う空間である限り、喫茶店も居酒屋も文化的な場所である。文化的な空間は時間をかけることなく資本だけで作れるものではないし、良し悪しについて簡単に評価できるものでもない。(p.50)

「嗜好品」という言葉が好きになったのは、20代後半になった頃だったように記憶しているし、それを自分の言葉としてつかうようになったのは、それこそごく最近のできごとのようにも思う。

「文化的とは何か」を語る切り口として、「嗜好品」という観点があることに気づいたのは堀部さんの文章の影響によるもので、「なくてもいいけどあったほうがいい」という感覚はとても大事なことのように思えてくる。

「生活必需品以外のものごとに自分の時間をどれだけつかうことができるか」はしっかりと意識したほうがいい。

そういった嗜好品の時間をどれだけ手に入れられるのか、一日の時間のなかで逆算できてしまうくらいに日常が忙しなくなってしまっているのが現実なわけだけど、嗜好に手を伸ばすことは止められそうにもない。

 

どこで購入しても同じ複製品である本は、一方で並べ方によって見え方が変わる存在でも在る。誰もが求めるものを揃えるのではなく、見過ごされがちなものに価値を与えること。その価値づけは、「すべてある」ことではなく「あるはずのものがない」ことによってしか生まれないのだ。(p.132)

そこにないことが価値を生むという逆説的な本の世界。

そこにないからこそ心に引っかかる。

あるべきものをあらかじめ用意するよりも、そのための場所に別の何かを引っ張り込んできてそこに座らせてしまう。

あるべきものの場所に別のものを居座らせる。

それは明確な意思があって初めて実現可能なものである。

しかるべき法則を外れることとか、当然そうあるべきという外からの圧力からできるだけ自由になることとか。

それは過去の文脈を理解した上で外していくこともできるし、王道的な文脈をそもそも知らないからこそできることもあるだろう。

「あるはずのものがない」ことに価値を見出すという観点の変換。

「何を置くか」ではなく「何を置かないか」は、今も自分の店の商品構成を考える上で基本姿勢になっている。(p.41) 

「何を置かないか」ということは、「あるはずの場所に期待したものとは別のものが置かれている」という状態でもある。

「期待したものを置かない」ということは、その空白に別のものが入り込んでくる余地があることでもある。

そもそもそういった期待は、すべて過去からやってくる。

日本文学のコーナーになぜ大江健三郎を置いていないのか。哲学書棚にドゥルーズもおいていないようでは駄目だ。なぜ料理書のコーナーがないのか。あの棚は前の担当のほうが良かった。(p.131)

膨大な過去の蓄積は、あるべき姿を求め続けて一定の型に収束していくようにも見える。

とすると新しい未来を描くとは、過去から押し寄せる力をひらりとかわしながらタッチしていく作業のようだ。

そのときその場所で、自分の指先で確かに触れることができるものを。

 

街へ出て自分の足で面白いものを見つけること。雑誌やテレビから受動的に情報を得ること。そうやって集めてきた情報を編集し、新しい価値を見出すこと。マスメディアの向こう側に同時代を生きる大衆の姿を知ること。ぼんやりと無為に過ごしたように思っていたあの時代に得たものは少なくない。(p.139)

新しい価値を見出すのは難儀な仕事でもある。

果たして自分は新しい価値を見出すことができているのだろうか。

振り返ってみると、考え方はどんどん変わっていってしまうようにも思えてくるし、気がつくと自分の考え方があの頃と別物になっていると思える瞬間もある。

 

それでも、自分の今のものさしは、確かに90年代に得てきたものばかりのように思える。

それはあの頃の自分が「持てなかったもの」の影響が大きいようにも思う。

田舎育ちの自分は、都会で育った人よりも、そういう満たされなかった感覚は大きい気もしていて、「スマートフォンのない時代へ」どころか、自分には「ガロ」も「レンタルビデオショップ」もなかった。

 

改めて、あの頃の自分には「なかったもの」に目を向けてみたい。

あの頃の自分のそばに「あったもの」はいったい何だったけかな?