本の話・13回目

4月の課題図書。

発売からずっと話題になっている本。

本を贈る

本を贈る

 

久しぶりの本についての本。

収録されているのは気になる人(職)ばかりである。

 

読み手にとっては普段見えにくい立場にいる方々にスポットライトがあたる。

表に出てきてくれて順番に自己紹介をしてくれるおもしろい本だ。

「本を語る」という形式を取りながらも自分たちの生き方とかものの考え方が書き綴られている。

自分が何にこだわって仕事をしているのかとか、普段の暮らしのなかでわざわざ言語化することはそうそうないだろう。

でもどこかしらの節目で自分の辿ってきた軌跡を記録に残しておくことは大事なことであって、それがみんなで一冊に仕上げていく過程が垣間見えるとても心地の良い本だった。

表紙の手触りだとか、手に持ったときに見た目よりも紙に軽さを感じたりするところとか、カバーをつけようとしない潔さとか、大事に本をつくっているのがわかる。

 

こういう類の本には編集の意図なんかを記したまえがきが入ることが多いと思うのだけれど、この本にはそういう説明的なところがない。

いきなり最初の島田さんの語りから始まる。

とても潔い。

「贈る」ときに余計な言葉を重ねず、でき上がったものそのものだけでメッセージを伝えようとする。

まとまった形の各自の文章を読み進めて辿っていくと、この本で何を伝えたかったのかを言い表す言葉を付加することは蛇足にも思えてくる。

余計な言葉はいらない。

シンプルに『本を贈る』の標題のとおりに。

島田さんもこう言う。

だから、装丁はできるだけきれいなほうがいい。厚さはあんまりないほうがいい。ださいタイトルはいやだ。タイトルはできるだけ、直接的でないほうがいい。(p.26)

 

この本は本に関わる人たちの共著なので奥付の親切さがとても良い。

書名や著者名にふりがなが振ってある。

印刷所や製本所の関係者の名前も列記されている。

著者にもなっている人たちが校正者と装丁・装画者も兼ねているのも良い。

藤原さんがこう言う。

何を申し上げたいかといいますと、印刷の担い手はひとりひとりの人間であるという事実。製本もしかり。だからこそ、彼らの名前を本の奥付にクレジットしてほしいのです。(p.131)

 

私たちが本と出会うということは、そのつくり手が必ず存在するということです。

読者としては普段意識しなくてもいいことだけど、この本を読むと自分の手元に何らかの本が届いていることに感謝したくなる。

誰かが思いを込めてつくっているのだ。

笠井さんがこう言う。

それはこれからは贅沢な考え方になってしまうかもしれないけれど、本をつくったり売ったりすることが、世の中の数ある仕事のなかで、普通に誰でもが選べる職種であり続けてほしい。そうあることが、買うひとをも選ばないことに繋がっている気がするし、そうでなければ、子どもの頃の私に、本は届かなかったと思うのだ。(p.163)

まずは普通の本と出合って、興味が持てればそのあとは、いくらだっていろんな本と繋がっていける。そのフックとなる、普通の本だって、すでにめちゃくちゃ手塩にかけて育てられた子なのだ。最高だ。(p.164)

最高だ。

誰かの最高な仕事が自分の日常にふらりとやってくる。

日用品の購入なんかはついルーチン化してしまうから買う行為を徐々に考えなくなってけれど、本を買う体験はいつになってもその都度新しい。

最高だ。

 

この本は「本を贈る」をテーマにした原稿依頼になっている(ことをいろんな寄稿者が書いている)。

本を仕事にしている人たちの声が聞こえる。

でも、読者である自分たちも「本を贈る」ことを考えてもいいのだ。

読者は受身的に「本を贈られる」存在ではなく、読者も「本を贈る」存在だ。

それがわかる。

自分の関心に沿って、自分の意志で本を探して読む。

誰もがみんな本を贈る人。

川人さんはこう言う。

出版されたものは著者の手を離れていくし、読者たちがそこに何事かを投影し、あるいはそこからまた別の本に引き継がれることもあるだろう。一冊の本の寿命が人の一生より長い場合もよくあることだ。ある意味では取次であるかどうかにかかわらず、本に関わる誰もが中動態のような中にいるのではないだろうか。(p.202) 

贈る主体ではないという意識を抱えながら。

 

本は複数冊を組み合わせることによって新しい価値観が生じてくる。

そんな話はよく聞く。

組み合わせるのは棚をつくる人、とついうっかり思ってしまうけれど、棚をつくる人がどこからヒントを得ているのかも考えておかないといけない。

本を選ぶ人というのはどこにでもいる。

一冊ではなく、複数冊の本をまとめるときに生じる価値を大事にすること。

久禮さんがこう言う。

ぼくの仕事は、どれだけ多様なお客さんの思いを拾い集めて品揃えに組み込み、ひとつの本が売れなかったときに、次に売り上げの見込めるもうひとつの本に取り替えることでその思いを売場に残し続けていくかだと思います。(p.255)

本棚とは本の所蔵場所ではなく、本を選んだ人の思いを残す場所である。

本の位置を変える、本を入れ替える、隣り合う本の組み合わせを考える。

誰かが手にとった、誰かが購入した、そういう本への思いを本棚のなかに形として残す。

たとえば本を開けずに一文字も文章を読めなかった日があったとしても、本に一瞬でも触れることができたら、触れなくても背表紙に視線を送るだけでも、それは自分が持っている本への思いが一日のなかに刻まれるということでもある。

久禮さんがお客さんの「物語」という言葉をつかっていることに安心する。

しかしぼくは書店員として、お客さんから毎日押し寄せてくるような思いを他のお客さんにお返していくことを、何よりも先に語らずにはいられなかったのです。(p.262)

 

本そのものには手も足もないのに、それでも世界のあちこちを巡り歩いて動き回る。

人間は「本という存在をなんとかしたい」と考えて、それに手を添えて世界のなかで動かしていく。

一見すると人間が本を自由に選んであちこち連れ回しているようだけれど、でも実際には本が私たちに手を貸すことを常に要求しているようにも見える。

本はいつでも「私をどこかへ連れて行け」なんて声を発しているように思える。