本の話・10回目

この記事は1月分です。

 

「本の話」といいつつ、本の話をしなかった年明け最初のセッション。

単純にお互い予期せぬできごとで課題図書が読めなかったということでした。

でもとりあえず話だけはしておこうということで、ただただとりとめもない話をしたのでした。

(セッションそのものは継続している形にしています。)

本の話をしようと言いつつ、本の話をしなくてもいいという時間。

それはそれでおもしろい。

年明けくらいは本からも自由でありたい。

というほとんど言い訳のようなもの。

 

この歳になってみると、若い頃に感じていたような必死になって何かを吸収しなくてはいけないような思いからは自由になっている気がしてしまう。

新しいことを吸収しては何かをアウトプットしておかなければという思いに駆られたりする、ということが若い頃ほどの密度で迫ってこない。

それは良くも悪くも自分が成熟しているとも言えるし、まわりの情況がそういう風に思わせてくれているのかもしれない。

歳とともに丸くなっていくということかもしれない。

若い頃は「ほんとかよ」とか思っていたことだけど、間違いなく角が取れ始めている。

 

とはいえ。

とはいえ、何かを出しておかないといけないような思いも自分のなかで続いている。

気持ちと身体は重なったりずれ込んだりの繰り返し。

 

お互いの人生のなかで蓄積してきたことを小出し小出しに月イチで相手に伝えていくやりとり。

こうしてお互いの話しをするたびに、今よりも若かった頃に見てきたもののうち、何が大事だったのかが言葉にされていく。

若い頃に描いていたのは、塗り絵の黒い線の部分だけのようなものなのだ。

枠しか描いていない。

歳をとってからそれを思い返してみると、そのたびに黒い線に囲まれたひとつひとつの白いキャンバスの小さな部分に色を塗っている感覚になる。

「前にもこの話したな」と思うことが増えてくるというのは、何度も繰り返し同じ部分に色を塗っているようなもので。

 

歳を取ったなら、できればそこに違う色も塗ってみたい。

自分の話を誰かに話してみると、その人がまた違う色を塗ってくれるようにも思う。

自分ではたぶん手に取らなかったような色。

思いがけないカラフルさ。

 

お互いの話をするというのは、そこに新しい色が生まれるということだ。

パレットは単に汚れるのではなく、何か新しいことを生み出した過程なのだ。