本の話・6回目
夢のような9月はなんだか忙しかった。
毎年同じことを言っているようだけど、気がつけば10月になってしまった。
迷路のようだ。
今回の課題図書は古典でした。
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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今よりも若かった頃に読んではいて、でも内容的には忘れていたところも多かった本のうちの一つ。
なので初めて読む気分で読んでセッションに臨む。
読んだけど内容を忘れてしまった本は未読と言っていいのです*1。
「読書」の本ばかりを読み固めていて、相棒がこの本のことを話題に出したことがきっかけだったか。
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。(p.127)
本には他人の考えたことが書かれている。
読み手はそれをなぞっていくことしかできない。
紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。(p.129)
先行していった人が何を見たのかはわからないけれど、本を読めばそれがわかるというものでもなくて、結局は自分の目で見に行かなかければならない。
それは確かにそうだろう。
けれども、先行する人が残していった足跡やたどっていった道が見えるようになっただけでも、それだけでも大したものじゃないかと褒めてもらえそうな気もしている。
足跡をたどろうと思えたことは、それは自分が何かに引っ張られて引きづられていくようなものだ。
足跡を見つけてしまったのだ。
先行する人が見たものはわからないけど、何かを見たことは推測できる。
本を書いたときとは時間も経ってしまっているから、たぶんその人とまったく同じものは見えないだろうけど、同じ窓から同じ風景を眺める気分にはなれる。
その風景を追い求めてみたい。
地層は太古の生物を順序正しく、分類的に保存している。図書館の書架も、順序正しく過去の誤った説を分類的に保存している。(p.131)
分類の考え方は大好きなんだけど、それを地層と古生物にたとえるのはおもしろい。
保存という言葉には主体的に残すというニュアンスを感じていたけど、ここでは生物と地層の関係が逆転している。
生き物が(生命が)大地を利用して生きていたと思いがちだけれど、長い目で見てみれば、大地が生き物を飲み込んでパッケージすることになる。
ここで意思を持っているのは、むしろ地層の方に思える。
生き物は大地に食べられてしまう。
図書館の書架も、本が主役で書架は単にそれを並べるところと思いがちだけど、書架が分類し、書架が保存している。
主語が書架になると、本は図書館に飲み込まれていくイメージだ。
本が人を操っている、書架は本を操っている。
人は、翻弄されるばかりだ。
読まずにすます技術が非常に重要である。(p.133)
良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。(p.134)
書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。(p.137)
それなりに歳を取ってきてみて、読み方はずいぶん変わった。
乱読という言い方が適切かは微妙だけど、あまり特定のジャンルに固定化しないような読み方だった気がする。
読みたい本はたくさんあるけれど、今はもう読める本に限りがあることをひしひしと感じている。
どっちにしろ選ばないと読めない。
「読まずにすます」がショウペンさんの言うように簡単にできたなら。
「悪書を読まぬこと」は簡単にできそうなのにできない。
けれど自分たちに残された時間はそれほど多くはない。
「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象をうけるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。(p.138)
同じ本を反復して読むというのはできそうでなかなかできない。
一冊を読み終えると、ついつい欲張って新しい本に手を出してしまう。
ページを開いた本の冊数をつい増やそうとか考えてしまう。
あれも読みたいこれも読みたい。
同じ本をもう一度読みたいとか、読むべきかとか、そういう判断が難しいこともあったりする。
ショウペンさんが単に「二度読むべき」だけじゃなくて、「続けて」と断っているところが重要な気がする。
読み終えて、振り返って、二度目を読み始める。
照明の明かりが古びてしまわないうちに。
照明の数は多いほうがいい。
読み合いは自分の再読の照明もあって、セッション相手の相棒の照明もある。
自分では気がつかなかった言葉が見える。
題材を選びながら誰かと同じタイミングで歩調を合わせて本を読む。
誰かの足跡を二人でたどってみる。
それはいつか轍になるだろうか。