本の話・5回目
今回の本はこれ。
出たときから気にはなっていたけど買いそびれてて、相棒に勧めてもらって一緒に読むことになってようやく買いました。
いいきっかけです。
中身は写真集なので書かれた文章について話し合うことは少なくて、でも写真についてのお互いの印象をあれこれと言葉を続け合うのがおもしろかったですね。
文字と違って写真は見るところがずいぶんと異なる。
情報に余韻が多い。
写真集で語り合うのはとてもおもしろかった。
「読む」に限らず、自分の行為・行動を客観視する視点を持てるようになったのはいつ頃のことだかもうすっかり忘れてしまったのだけど、そういう俯瞰した視点をこの写真集は感じさせてくれる。
被写体になっているのは他人なのだけれど、まるで自分がそこにいてもおかしくないというような感覚を覚える。
見知らぬ誰かの振る舞い。
「読む」という身体のつかい方、「読む」という姿勢。
背中を丸める、椅子に腰かける、寝転ぶ、足を組む、足を投げ出す。
本を読むという振る舞いは、風景をどういう風に切り取ってもだいたい似たような形になってしまう。
私たちの身体は「本を読む」という行為から自由になりづらい。
手は塞がるし、目も塞がる。
耳は頼りなくなるし、周囲に対する感覚も鈍る。
でも心と頭はどこか張り詰めた空気のなかにいる。
身体から心が抜け出したように。
頭が置いてきぼりをくらうように。
そういう自分の身体の動きに気づかせてくれる。
誰かが本を読むふるまいはステキなだなと思っています。
読む身体。
何を読んでいるのか、その本も気になるし、その本を読んでいるあなたのことも気になる。
自分自身もどこか人目につくような場所で本を読むことがあって、そのときにどこかの誰かが私の読む身体に反応しているかもしれない。
そういう気持ちを思い起こさせるような本だなと思います、これは。
文章らしきものは、冒頭の谷川俊太郎さんの詩と、ロバート・グルボのまえがきくらいしかない。
谷川さんの詩がまたよい。
そして自分とはまったく違う考えが
いつの間にか自分の考えとハグしているのに気づきます
本を「読む」というのは、その本の著者の考えを自分のなかに取り入れるようでありながら、自分自身がそれによって変わるものだなと思います。
自分は読書を通じて常に揺らぐ。
取り込むというより、変容をもたらす。
読む前の自分とは違う人になってしまう。
それは本について誰かと話すことで、より強く変わっていく。
自分の読みと相棒の読みが違う。
あたり前のことだけど、語り合うことでまた印象が変わってくる。
とてもステキな本でした。
直前になって読み合う本を変更したのですが、今回はこれくらいの内容でよかった気がしますね。