本の話・2回目

今回の課題図書はこれ。

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

 

 

読みやすい文章のなかにぐっとくるフレーズが散りばめられた気持ちのいい本です。

これは誰かに勧めたい。

 

本を買う必要がないときもつい店に立ち寄るのは、単に本が好きというだけではなく、客たちが自分の胸の内を彼に読み解いてもらいたいからではないか。

読んで、読まれて。(p.26)

本を買うとか読みたい本を選ぶとか誰かが選んだ本を目にするというのは、今の自分にとって足りないところを探す行為だなぁ。

一人で本を探すのは個人的な問題だけど、読書会みたいなところで読む本を探すのはもっと特別な気がする。

このブログで試しているようなことは今までやる機会もなかったんだけど、この本を一緒に読みませんか?」ってとてもとても「私たち事」になるのがいいと思います。

 

本が本を連れてくる。(p.114)

主語が「人」ではなくて「本」なのが良い。

本は本を連れてくるし、本はほかの本とくっつきたがる習性を持っている。

仲良しの本を常に探している。

人は「この本とこの本の組み合わせ」を考えているようだけど、本からしてみれば人をつかって自分たちの居場所を変えているんだと思う。

自分の種を動物にくっつけて、より遠くに種を運んでもらって花を開く植物みたいなもので。

壁画とか石碑とか粘土板とか古い時代のメディアに比べると、本は手軽で持ち運びができる素材でつくられるようになって、それは「持ち運びしたい」という人間の都合のようだけど、実は「遠くに運んでくれ」という本の願いのようにも思える。

本のことを考えたがる人が多いのも、本が私たちに組み込んでいったプログラムのようにも思える。

「ゆっくり急げ」(p.158〜)の章にも印刷技術の発達のこととか書かれてるけど、技術をつくり上げたのは熱意ある人がいたためなのか、物が人間を突き動かしたものなのか、果たしてどっちの問題なのか。

 

「旅する本屋」という言い回しがなんだか特別な人たちの生き方のようにも思えますけど、私たち自身も一人ひとりが暮らしのなかで本を運んだり届けたりしていることを考えたら、実は誰もが「旅する本屋」なんだと思っています。

本を話題にする人は、それだけで本屋っぽいですよね。

ファッションに詳しい人が洋服屋っぽく見えたり、音楽に詳しい人が音楽屋っぽく見えたりとか。

その人らしさが一番映える洋服を見立てるのが洋品店の役目なら、読んで心が豊かになる本を勧めるのが書店ですものね。(p.327)

商売として本屋をしているわけじゃなくても、みんな本屋になれると思う。

 

〈受け身だった人生も、自分次第で違う運命を切り開けるかもしれない!〉

本は闇の中の蠟燭の火であり、荒波の先に光る灯台だった。(p.268)

今の自分が見ている風景も本に連れてきてもらったからだ。

感謝するばかり。

もっと予想もしなかったところに連れて行かれたい。