本の話をする

誰かと本の話をしたいと思っていた。

 

できることならば気の合う同世代の人と。

世代の離れた年上の人でもなく、年下の人でもなく、だいたい同じくらいの時間を過ごしてきた人と。

上を見たり下を見たりではなく、すぐ隣のほうを見て、迷いながら向きを変えていきたい。

 

そういう話ができる人は探してみても案外少ない気がする。

そして、そういう時間がまとまって取れないこともよくある。

家庭や仕事とは離れたところで、腰を据えて何かの話をする時間を確保するのは意外と大変なことなので、今回のことも話の流れの思いつきのようで、でも何年も言葉にならなかった言葉なのです。

 

たぶん与えてもらった時間の半分くらいは既に過ぎてしまったので、仕事でもプライベートでも、何かしら次のことを考えたくなる年齢になっている。

これまでのことと、今のことと、これからのことを考えるために、誰かと話す機会を持ちたい。

3年前に、こういうことに付き合ってくれる人との出会いがあったのです。

ありがたいなぁ。

 

自分が知らなかった道がある。

ぐるぐる回って、同じ道に出る感じもする。

考え方は、流されるままにどんどん変わってしまう。

変わるというより、変えさせられてしまう感じ。

自分の身体はつかうというより、誰かにつかわれている感じ。

自分の意思で本を選んで読むというより、本が私たちの身体を動かして、いつの間にか読ませている感じ。

本は私たちの身体をつかって、その住み処を徐々に変えていく。

買って並べて、手放して。

 

お互いの考えていることとか、見てきたものとかは当然違っている。

だから、自分が見てないものをちゃんと言葉にしてくれる人がいるのは幸せなことだと思う。

 

遠く離れていても簡単に声が届く、そういう便利な技術に囲まれている。

幼い頃に、糸電話の仕組みに感動した瞬間のような。

語りかけて、声が届く。

 

そうしてようやく本の話をした。

 

 最初はこの本を読むつもりだった、のですが。

シリアの秘密図書館 (瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々)

シリアの秘密図書館 (瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々)

 

 

けれどもお互いにあまり気が乗らなくて、最初からあまり決めすぎない1時間くらいのおしゃべりになってしまった。

ひたすら読みたい本について話す。

お互いの積読本を探る時間。

「まだ読んでない、けれどもこの本に興味がある」ことを伝える。

 

過去の自分が関心を持ったことを、改めて言葉にする。

積読も読書のうちだと思います。

向き合って話す相手がいると、そういう過去の自分の些細な選択が掘り返される。

 

そういうところから次の本の話が始まります。